大阪発。ISO9001審査員補のよもやま話

イチ真面目なサラリーマンの人生ひと区切り(^_-)-☆

前職でのエピソード-1 地方工場勤務の始まりと多くの試練

今回は、私のキャリアの一部を振り返り、思い出せる限りのことを書き始めます。

地方工場勤務の始まり
製造業に就職した人なら多くが経験するステップである地方工場勤務。
私も例外ではなく、入社4年目に本社研究所から地方工場の商品開発部門への異動を命じられました。
当時の私は視野が狭く、工学修士を取得した自分が地方工場へ異動することに対してプライドが傷つき、
まるで会社から失格の烙印を押されたかのように感じて落ち込んでいました。
しかし、性格的にお調子者の側面もある私は、多くの激励会などで元気を得て、赴任しました。

学歴と居心地の悪さ
地方工場では、私の学歴が大層に受け取られ、自分の能力と比べて居心地の悪さを感じることが
多々ありました。また工場内では職責の上下は逆でも、
製造部門の人が最も偉いように振る舞われる空気があり、そのことにもやや違和感を覚えていました。
本社から来た大卒は、製造部門と仲良くなれるかどうかで評価される風潮がありましたが、
私はそのようなタイプではありませんでした。
そのため、少しマイナーな存在として過ごすことになりました。

人間関係の試練
それでも、数少ない話し合える大卒の同僚や、工場採用でも優しい人たちとのつながりが救いでした。
彼らとの会話があったことで、なんとかやっていくことができました。
しかし、地方工場での生活は私のようなタイプにとっては基本的に孤独で、週末もリフレッシュはできず、
メンタルが不安定になりながらも、週が明けるとまた仕事が始まるという繰り返しでした。
これが何年も続くというのは本当にきついものでした。
数年で大阪勤務時代の元社内同僚と結婚できたので、家族もできこれは救いでした。

仕事の成果と葛藤
会議や仕事の成果においても、なかなかうまくいかず、じれったい思いをすることが多くありました。
スタッフの視点で90%のレベルの自信で仕上げた書類でも、ローカルや製造の人が参加する会議などでは
頑張ってプレゼンをしても何となく一蹴され不採用になり、悔しい想いをたくさん重ねました。
しかし、そんな中で上司からの指導は私を変えてくれました。
彼は賢く、製造現場とも非常にうまくやっており、また、経営層や他の間接部門スタッフとのかかわり方、
仕事の進め方や報告など、仕事の神髄を教えてくれる存在でした。
彼の話は社内で何でも通るのです。
怒鳴られることもあり厳しく指導されましたが、私の仕事への関わり方を決定づけました。

スタンスの確立
その上司から学んだことに加え、私自身の素養である勤勉さも加わり、
今思えばここで自分の骨格ができたのだと思います。しかし形になるまですごく長い時間がかかっています。
•上手にやること。人間関係は相互の感情の結果であ
 り、そこで仕事の成果が変わってくる。
•他人におもねってはいけない。仲良くしながらも
 職責の上下は常に意識してふさわしい行動を取る 
 こと。
•報告のポイント。経営者目線での取組み、報告を
 常に意識すること。
•コミュニケーションは少しずつ。日常的な積み重
 ね。他愛のない話で良い。

仕事の成果と転機
そういうことなので、製造部門やローカルの年上部下との関りも我慢を重ねながらの、
まさに臥薪嘗胆状態でした。
しかしそんな中、一定の商品開発成果もあげ、会社の売り上げにも貢献し社内表彰も受けるなど嬉しいこともあり、
自分なりのネットワークもできてきました。
ここで既に10年以上が経過していましたが、ここで、転機が訪れました。品質保証部門への異動です。

次回の投稿では、品質保証部門に異動して以降の経験についてさらに詳しくお話しします。
お楽しみに。それでは、また次回お会いしましょう。

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